I❤︎NYとミルトン・グレイザー について

ミルトン・グレイザーは、I❤︎NYのロゴに代表されるグラフィックデザイン界の伝説的存在です。今回は、ミルトン・グレイザーと、映像製作会社Dress Codeの創設者ダン・コバートとのトークイベントの模様を翻訳しています。

 

ミルトン・グレイザー について

[MG]:ミルトン・グレイザー
[DC]:ダン・コバート(司会者、映像製作会社Dress Code創設者・デザイナー)
[Q]:聴衆の質問者(複数)

 

MG : ニューヨークは以前より良くなったし悪くもなりました。ニューヨークへの訪問を増やすことは以前より難しくなりましたが、いくつかの点では簡単になっています。あまりにも多くのことが同時に進行しています。タクシーで目的地に行くのに35ドルかかるなんて想像できません。昔は35セントでした。

あらゆる意味で街は変わりました。人々が変わり、人々が求めるものが変わったのがその大きな理由です。この街にいることは楽しくもあり、同時に、非常に脅迫的で否定的な環境にもなります。

DC : ニューヨークの人々と話をすると、自分がニューヨークの一番良かった時期を逃してしまったのだといつも感じます。10年前はこうだったのに…といつも言われているような感じです。これまでもずっと同じくそんな感じだったのですか? それとも最高の年というものが実際にあったけれども時を経て変わってしまったと感じていますか?

MG : 経験したことが違うので、あらゆる人の代弁をすることはできません。ニューヨークで起こることは予想できません。様々な活動やイベント、定期的な催しなどがありますが、その本当のところは、すべての人に常にチャンスがあるということです。客観視したり計測したり1つの観点からだけで分析したりするのが極めて難しい場所のひとつです。とにかくニューヨークは複雑です。

 

DC : 今夜は出版されたばかりの本のお祝いで集まったわけですが、出版のいきさつはなんですか?

MG : 本のことですか。自分が手がけたポスターを私は全部持っていました。それが地下室のスペースをどんどん占領してきていたんです。地下室には30万枚のポスターがあるんですよ。それをなんとかしなくてはならないと気づきました。

実はデザインについての本を書いているスティーブ・ヘラー(Steve Heller)という友人がいました。「ポスターの処分を手伝ってくれないか?」とスティーブに頼むと「カタログを作るべきだ」と言われました。「そうした方がよければカタログを作るけれど誰か出版してくれる人がいないか?」と訊くと、エイブラムズ・ブックス(Abrams Books)社をすすめてくれました。

これまででもっとも手のかからない本でした。エイブラムズ社へ電話すると本を見たいと言われたので、デジタルでダミーを送りました。エイブラムズ社はそれを見ると「お引き受けします」と言ってくれました。そして本を出版してくれたのです。私はエイブラムズ社の人と今夜初めて会いました。エイブラムズ社の方、ちょっと立っていただけますか。理想の出版者です。トラブルは全く起こりませんでした。少なくとも出版に関わる人たちは皆、本を出版することほど難しいものはないと知っているそうです。これからもそうでしょうし、これまでもそうでした。その理由は出版社がまず最初に出版の費用を要求するからです。今回の私の本ではそういうことはなく本ができたというわけです。

 

DC : あなたのスタジオへうかがったとき、本のダミーがあって、それについて少しお話ししてくださいました。私が驚いたのは「良くない作品がここにいくつかある」とおっしゃったことです。とても率直な言葉で、私には衝撃でした。私にとって伝説の作品もあなたが気に入ってないかもしれないということですから。そういった作品を出版して見せるということはプロセスの一部なのですか?

MG : 本の作り方はふたつのうちのどちらかだと思います。ひとつは選りすぐった作品を本にすることです。ポスター500点から本当に良い30作品を選ぶのです。

もうひとつは作ったものを全部見せるやり方です。私はポスターのうちのとてもお粗末な約1割の作品を「あまり良くない作品」という見出しのもとに本の後ろにまとめて問題を回避しました。正直者だという評価を得るためのお金のかからない方法に思えましたので。私がそうしたのはつまり、明らかに今回の本は全作品をお祝いしているのではなくて、 “ある具体的な問題を解決するためになぜそうしたか?” を客観的に分析しようとしているのです。どちらかといえばビジュアルデザインにそれほど詳しくない人たちのための本です。現状から望ましい状態に移行することに関して、どうやって結果を出すかがこの本でわかります。高度な妙技や才能を見せることとはまったく違う目的を持っています。ポスターを作るときには何をするかを見せることを意図しています。

 

DC : クーパー・ユニオン大学を卒業したとき、あなたのこれまでのキャリアを予想していましたか? それとも単に生計を立てなければいけないという感じでしたか?

MG : あらかじめ人生を思い描くことはできませんでした。人生がこうならない可能性も大きかったでしょう。しかし私は非常にラッキーで素晴らしいチャンスをもらってきました。とても多くの仕事の依頼があり、今はそれをどうしようか心配しています。

 

DC : 卒業後に何かをしたいという感覚はありましたか? たとえばプッシュピン・スタジオは明らかに卒業後すぐに始まっていますが、そういう計画でしたか? それともたまたまそうなったのですか?

MG : 母のおかげで私は何でもなりたい仕事につけると信じることができましたし、そういう結果になりました。私はあらゆることは達成可能だと強く確信していました。もちろん当時がニューヨークとアメリカの歴史で重要な時期だったということもあります。ニューヨークはあまりにも複雑でイライラする問題を抱えているので、二度とあのころのような感じにはならないと思います。トランプが大統領なので決してそうならないでしょう。

しかし、あらゆることを思い描くことができますし、たどり着くことができると私は感じています。仕事はとても楽しかったです。絵を描くことよりも好きなことはありませんでした。これからも続けるだろうし、実際に今も描いています。もし別のことをやらなければいけないとすれば、描いたり創作したりをやめる前にとても慎重に考えます。創作すること、創作する能力は、頭の中で実際に思い描いた後にのみ実在します。立派な目的などはありません。私は熱情と熱意に従うだけです。その結果こうなったのです。また、私は幸運にも恵まれました。

 

DC : 社会の変化に対するポスターの文化的な関連を、これまでの人生でどのように見てきましたか? 

MG : わかりません。質問のテーマが客観的すぎて私には手におえません。ポスター作りは説得する活動です。

つまり、ポスターを作る時に期待しているのは、できごとやテーマに関する誰かの認識を変えることです。私は広告は好きではありません。必ずしもその人たちにとって良いとは限らないことを説得してやらせるという考え方は好きではありません。ですから私にとっては、人々を喜ばせたり認識を変えるという考えに近いほど満足感は大きくなります。誰かを説得して必ずしもその人にとって良いわけではないことをやらせるというのは、いつも気が落ち着きません。

 

DC : 大きな広告代理店から仕事を持ちかけられてきたと思いますが、それを避けてきましたか? それともしぶしぶ受けましたか?

MG : ほとんどの広告は避けています。仕事を始めて最初の20年間は広告をたくさん手がけました。それ以外のことを知らなかったからです。しかし今ではまったく受けていません。自分のしていることがどんな結果をもたらすかわからない…ということもありますし、私が訴えたことが何らかの作用によって、メッセージを受けた人々の人生にマイナスとなることを恐れているからです。ですから広告の仕事をすることには、今はとても不安を感じます。

 

DC : プッシュピン・スタジオでは広告も手がけたのですね。その時の経験について話していただけますか。私たちはデザイン史でプッシュピン・スタジオとあなたの輝かしい経歴について学びます。プッシュピン・スタジオの環境はどんなものでしたか? 

MG : 大勢の仲間がいました。その環境では、共通の目標に向かって一緒に働いていると感じることができ、求める美を達成できました。私がプッシュピン・スタジオにいた20年間、私たちは一度もお金について話し合ったことはありませんでした。どのように売り上げを分配するか、賃料をどう払うかについて話し合ったことは1度もありませんでした。なぜなら、共通の目標を達成するために一緒にいるという感覚はとても素晴らしいものだったからです。そのような努力を維持するのに20年間は長いです。しかし美の創作に関わっていれば、その代わりとなるものはほとんどありません。

 

DC : あなたとの話で印象深かったのは、あなたがプッシュピン・スタジオを始めた当時、デザインの考え方は一方通行で、プッシュピン・スタジオはデザインの別の見方や体験の仕方を持ち込んだというものですが、それは本当ですか? つまり基本的にあなた方は本当に輝かしいアイデアを取り入れましたが、それは抑圧的で疲弊したものに抵抗したということではないでしょうか。

MG : 私たちがやっていたことはそれとは少し違う認識です。プッシュピン・スタジオで共有していた考え方のひとつは、 “グラフィックデザインのやり方に正解はない” ということです。

モダニズムはひとつのスタイルでしかありません。ほかのあらゆるスタイルと同じようなものです。ひとつの選択肢であり、アール・ヌーヴォーやアーツ・アンド・クラフツなどと、 “スタイル” である点では何ら違いはありません。歴史の中の数えきれない選択肢のひとつであり、今でもそう感じています。私は歴史の中の視覚的なものすべてに敬意をいだいています。

ですから、モダニズムへの固執、ひとつのタイプフェイスへの固執、幾何学を基準とすることへの固執など…勘弁して欲しいです。

「大人になれ」と言いたい。

プッシュピン・スタジオでは物語を語ることにも興味を持っていました。しかし物語ることは低いレベルのものです。それは説明です。低いレベルの活動です。

一方、抽象芸術は神々に近いものです。くだらない物語やおとぎ話を扱っているわけではないからです。抽象概念、崇高な真実、普遍的真理。誰もそれを信じていません。なぜ誰もやらないのかが私にはわかりません。しかし抽象芸術の力は今日でも私たちとともにあります。

つまり、グラフィック分野の良い点は30代未満や40代未満で働いている人たちと同じ仮説のもとでも役立ちます。しかし、ストーリーを語ることや絵を見せることに関心を持っている人たちとは別のことに私たちは関心を持っていました。つまり、本の中で人々に見せる能力を失くしてみてください。何の話かよくわかりませんね。とにかく私たちは軽蔑していました。軽蔑でないとしても、少なくとも根気はありませんでした。ですから私たちは別のやり方で始めました。それほどもったいぶる必要はないという考え方に人々は元気を取り戻し、面白いものやペルシャ絨毯のように装飾的なものを豊かな視覚的な世界の中で見せることができるようになりました。そして人気を博して受け入れられました。

 

DC : 私は映画監督をしているビジネスパートナーと一緒に10年ほど会社を経営しています。さらに10年、つまりトータルで20年間会社を経営した後に、まったくギアを入れ替えてひとりでやっていくということが想像できません。不安でしたか? なぜそのようにギアを入れ替えたかったのですか?

MG : なぜでしょうね。ただ私は飽きっぽいのです。20年は長い。

また、物語ることにもずっと興味を持っていました。長年イラストも描いていました。当時私は『エスクァイア(Esquire)』誌とその後『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン(New York Herald Tribune)』紙 日曜版別冊の編集をしたクレイ・フェルカー(Clay Felker)とよく仕事をしていました。私たちは友人になり、妻同士も友人になりました。私たちはあたかも映画のセリフのように「雑誌を作りましょう」と言いました。『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙 日曜版の別冊は廃刊となり、私たちは「New York」の名前を買うことができました。こういうことがあって雑誌ビジネスの世界に入ったのです。雑誌ビジネスはうまくいきました。今はその業界はそれほど繁盛していません。しかし、物語を扱い、いろいろな事象を人々に伝え、認識を変えています。素晴らしいことです。

 

DC : 雑誌について何かご存知だったのですか? どうやってその世界へ入ったのですか?

MG : 絵の描き方以外は雑誌ビジネスについては何も知りませんでした。しかし私は文学的感覚を持っていて、物語の語り方を知っています。それと私はクレイ・フェルカーとは正反対でした。私はブロンクス出身のユダヤ系です。クレイは中西部出身のよそ者としてニューヨークに来て、窓ガラスに顔を押しつけながらニューヨークの人々が豪華なディナーをとるのをながめていました。ニューヨークは私のホームタウンですし、私たちふたりがしたことはニューヨークの人々が興味を持っているものを合成したのです。刺激的な良い体験でした。

 

DC : スケジュールは崩壊寸前でしたよね。おそらく発刊のペースはある意味で扱いきれないものだったのでは? スケジュールは守れましたか?

MG : どうでしょうか。不可能だと知らなければできます。当時まだデザインスタジオを経営していたので、雑誌には半分の時間しか使えませんでした。スタジオと編集部は同じ建物にありました。「無理だ」と誰にも言われなければ、これほどのことができるかと驚いていました。

 

DC : 『New York』誌はニューヨークの名物雑誌です。通りを歩くとニューススタンドごとに雑誌名のロゴと印刷物が目に入りますが、それを自分で始めたというのはすごいことでですよね。どう感じていますか?

MG : 人生で起こることのひとつに過ぎません。驚いたのは成功したことです。私たちはどうすればいいかをあまり知らなかったのですから。まさにオン・ザ・ジョブでやり方を身につけました。

もし最初の年の『New York』誌を見ることができるとしたらぞっとします。ひどい間違いだらけなのです。しかし最終的には誰に話しかけているのか?何を言いたいのか?を理解できました。それによって内容が整理されて、今のような姿になりました。ちなみに『New York』誌は元の場所に戻りました。マードック氏(Murdoch)が購入したあとしばらくの間あまり活発ではありませんでした。誰にも求められていない商品となっていました。3、4年後に立ち直して、今はいい雑誌になったと思います。

 

DC : 雑誌では編集に関わっていましたか。

MG : はい。仕事内容は分かれていませんでした。全員が何でもやりました。

 

DC : あなたはその同じ建物の中で仕事を推し進めていって、ミルトン・グレイザーとしてのキャリアを築いていくわけですが、あなたのデザイン事務所のプッシュピン・スタジオとの違いは何ですか? ミルトン・グレイザー社としておこなっていた仕事はプッシュピン・スタジオとどのように違いましたか?

MG : 私の役割の大部分は今夜ここに来ているウォルター・バーナード(Walter Bernard)が引き継いで、表紙やレイアウトや難しい仕事をしてくれました。よりによって私は英国で出会ったジェームズ・ゴールドスミス(James Goldsmith)という人物のためにスーパーマーケットのデザインをしていました。彼は『New York』誌を買収したがっていたのですがマードック氏に負けました。コールドスミス氏にスーパーマーケットのデザインを依頼されてスーパーマーケットのデザインを始めました。8年か9年その仕事をしました。

 

DC : スーパーマーケットのデザインはどのようにしたのですか? 「スーパーマーケットのデザイン」とはどういう意味ですか?

MG : サインで何を伝えるか、客の動線をどうするか、陳列棚の見え方をどうするか…を決めるのです。スーパーマーケットのデザインは素晴らしい仕事です。しかし時間がかかりますね。

 

DC : あなたは遊園地やワインボトルの仕事もしていますが、それらはすべてあなたにとっては同じですか?

MG : すべてまったく同じです。

DC : それはプロセスがですか。アイデアが同じなのですか。伝える方法の見つけ方ですか。

MG : どうでしょうか。アイデアは安く手に入りますよ。頭の中は常にアイデアに満ちていますから。ほとんどの場合どうやって始めるかというのが問題なのです。いったん始めてしまえば目的にたどりつけます。そう信じれば、あらゆることは簡単です。

 

DC : 『New York』誌や「I❤︎NY」のロゴといった並外れたアイデアについて映画の中でその作り方について少し話されていました。そういったものを作っているときは、並外れて時を超えたものになるだろうとわかっているのですか? それともすべては運任せですか?

MG : 私はそうは思いません。誰の釣り糸にかかっているかは水の中の魚にはわかりません。ただ仕事をするだけです。

つまり、 “おこなうのが難しいと本当に思うのなら難しい” です。難しくないと思えば難しくありません。私の人生はきわめて呑気なものでした。間違いをたくさんしでかしましたし、馬鹿なこともたくさんしました。でもそれがどうしたというんですか? 私はやり続けてほかの方法を見つけました。あらゆることに予断をもつこと、実際にあることを体験する前に解を知っているという考えはとても危険だと思います。つまり疑いを抱かないということは危険です。

生きていることのすばらしい点は疑いを持つということです。そして超越することです。すべてを確信して疑いを抱かない人々は本当にひどい状態です。

 

DC : 間違いについての話ですが、大きな間違いがいずれにしても状況を変えてしまう可能性があきらかにあります。ひどい目にあって学ぶところのあった大きな間違いは何ですか? クライアントに関わる仕事ですか?

MG : ありとあらゆるすべての仕事です。よろめきながら進み、間違いもするということです。付き合うべきでない人々と仕事をするとたいてい間違えます。

 

DC : 私はその感覚を身に着けるのに時間がかかったのですが、誰かが部屋にはいってきたときに「あぁ、この人とはうまくいかないな…」という雰囲気を感じますか?

MG : すぐに感じます。それは人間の優れた特質のひとつだと思います。

ある部屋に入って、そこに10人いれば、うまくいく、うまくいく、失敗する、失敗する、失敗する、うまくいく、うまくいく、といった感じでわかります。言葉を聞く前にわかるのです。私たちはあらゆる人のすべてを理解します。しかし、そこに注意を払いたくないときもありますね。

 

DC : 仕事を選び始めた時点というものはありますか? 名声を得て、作品は世間で知られているのでもう少し仕事を選んでもいいと考えた時はありますか? それとも常に戦いのようなものでしたか。

MG :  “デザイナーを信頼してくれて、デザイナーが答えを見つけるだろうと感じてくれる人たち” を見つけるのがいいでしょう。自分たちの求めるものを手に入れるためにデザイナーに指図しなければならないと感じている人たちではなく。デザインをビジネスにしている全ての人にとって最も大きな困難のひとつに、クライアントの命令に従っているということ以外になにも感じられない行動計画があります。その場合ほとんどのケースで喜ばしい結果は生まれません。仕事自体でも仕事との関係においても。

 

DC : クライアントとの関係が10年、20年、30年続いたことはありますか?

MG : はい。何年も関係が続いたクライアントはたくさんいます。私の最高の作品は本当に好きなクライアントのためのものです。残念ながらこういう態度はまったくプロとはいえないかもしれませんが、クライアントのために働くことを楽しまなければ、結果的にいい仕事にはならないと本当に思います。

 

DC : そういう状況であれば、人となりがそれほど良くなければ結局のところ仕事は良い結果に終わらない…と考えていますか?

MG : いいえ。独裁者にはなりたくないですからね。

 

DC : あなたはキャリアの中で非常に多くの仕事をしてこられました。再び非常にありきたりの質問で申し訳ないですが、これをやりたいとか、あれをやったことがないなど何かやり残したことはありますか? それとも求めていた以上のことをやったと感じていますか?

MG : 素材の意味では何であろうと気にしません。メガネのデザインを依頼されたことがあります。非常に問題だと思いました。メガネのデザインをそれまでやったことが一度もなかったからです。ともかくデザインしました。あまり良い結果にはなりませんでしたが…。しかし、面白さを感じないカテゴリーは私にはありません。

 

DC : インタビューの冒頭でおっしゃったようにお母さんから「あなたは何でもできる」と言われたからですか? デザインは広く浸透しているので思考プロセスはあらゆるもので示すことができると感じているからですか? それともあなたが挑戦を厭わないからですか?

MG : わかりません。

 

DC : 誰もがあなたのようにいろいろなことはできませんよ。ひとつのことをずっとやりつづける場合もあります。

MG : 確かにそうですね。ひとつのことをするのが好きな人もいますし、いろいろなことをやりたいと感じている人もいます。個人の選択です。あることを常に磨いてレベルを向上し続けることにとても心地よさを抱き、ひとつのカテゴリーのなかでやっていけると思う人もいます。靴とか時計といったものはそういう人を満足させます。しかし私は目新しいことをどこまでやれるかにずっと興味を持っています。

 

DC : 目新しいことの新鮮さという考え方についてですが、「I❤︎NY」のロゴは細部まで非常によく表現されています。やることが決まった時は細部まで何時間も没頭して描き続けますか? それともすぐに興味をなくしますか?

MG : 当初は私は(雑誌の)デザインをしていませんでした。非常に良い仕事をしていたのはピーター・パラッツォ(Peter Plazzo)です。私はそれを少し間引いただけです。おそらくそれはやるべきではなかったでしょう。タイプデザインなどの極めて高度なスキルの必要な領域では、私にもできると言ったりするような傲慢さは持っていません。注意を払うかどうかという問題です。熟達するまでにあらかじめおこなわなければならない複雑で細かな仕事が多すぎます。しかし、ほとんどの場合はそうではありませんが。

 

DC : スタジオにまだ製図台をお持ちですね。きれいに削られた鉛筆が4,000本ありますね。製図台に向かう時がもっとも幸福ですか?

MG : いま面白いことに、パソコンを使ってやるとは思ってもみなかった仕事をたくさんしていますが、私は決してパソコンを触りません。誰かの隣に座って、これを動かして、あれをそこに置いて…と指示しています。まったく品のない仕事のやり方ですが、その結果を見ても、パソコンのスキルのない人がしたことだとはわかりません。

 

DC : パソコンを操作している人を怒らせていませんか。

MG : 大丈夫ですよ(笑)

一同笑

 

DC : プッシュピン・スタジオでは誰もお金のことを気にしなかったとおっしゃいました。キャリアを重ねる中でビジネスセンスは磨かれましたか?

MG : いいえ。ビジネスマンとしてはどうしょうもないです。何かに興味を持つといつでも無報酬で仕事をします。興味がなければできません。たとえ報酬が良くてもできません。

もしビジネスの世界に入り、自分のしていることをビジネスとするならばお金に注意を払う必要があるだろうと、あるときはっきり理解しました。そのことで私は気落ちしました。とはいうものの何かの手違いで今は極めて裕福ですが。しかし従業員の賃金を準備する方法はまったくわかりませんでした。

 

DC : 脳が無頓着なのですか。

MG : 単に私にはビジネスができないようです。

 

DC : クーパー・ユニオン大学を卒業したときと今を比べて、画力は飛躍的に向上しましたか? それともずっと同じレベルですか?

MG : わかりません。また画力というものが何かもわかりません。才能とは何かもわかりません。本当です。目の前にあるものを模写することですか?

ある種の技能、具象的な技能というものはあります。しかし私が考えているのはそれではありません。うまく描いているときは、目の前のものではなく、頭の中にあるものを描いているのです。そして目の前のものと、頭の中のものとの隔たりが重要なのです。

絵はすべて抽象画です。ですから絵を描く業界では「能力」という言葉は別の意味を持ちます。

 

DC : あなたのスタジオでお会いしたとき、ファインアートのカテゴリーの方に入る印刷物を準備されていましたが、デザインの文脈で売られる絵の方が多いように思います。意識的にファインアートの世界から距離を置いてデザイン分野に留まろうとしているのですか? それともそういうことは気にしていませんか?

MG : これまで教えたすべてのクラスで説明しているのですが、ファインアートなどというものはありません。コマーシャルアートというものもありません。あるのはふたつの考え方です。

ひとつは、 “目標に向かっていくもの” です。それは効果を生み出します。いったん目標を持てばその目標へ到達しようとします。

アートはそれには関わりを持ちません。アートとは見る人の考え方を変化させて、それまでとは違う現実のとらえ方ができるようにするものです。

このふたつのことは互いにいかなる関係も持ちません。とはいえ時には共存することはあります。ですから、誰かが描いている絵が不適切かどうかを私は判断できません。見ることと表現することとの間に、見る人に変化をもたらす何かがなければならないということ以外には。

もし何かすばらしいものを見て、たとえば家具を見て、その座り心地がすばらしくても、それはアートではありません。たとえ非常に快適で見た目にすばらしくてもです。なぜならもうひとつのこと、 “テーマについての考え方を変える” ということをしていないからです。

 

DC : 教えることと学生の考え方について言及されました。あなたはスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(School of Visual Arts)に長く関わっています。教えることで何が得られましたか? なぜずっと続けているのですか?

MG : 自分が何を信じているのかが問われます。自分自身の言葉が聞こえます。その言葉を何度も聞いているのにその意味がわからないことに気づきます。自分自身の信念体系を発見するひとつの方法です。そしてその次にその信念体系を捨てることができます。

 

DC : 学生たちが自分の力で成長し始めるのを見てどういう満足が得られますか? 教えたことが花開き、本人には見えない学生の最高の能力を見るというのは、社会へ還元のひとつですか_

MG : 結局のところ「最後に自分は何をしたのだろう?」と人は考えます。「自分の目的はなんだったのだろう?」と。それがもしお金を稼いで有名になることだけだったら核心を外しています。自分の知っていることを人と共有しなければ、あらゆる人の役にたつ主題を持たなければ、意味がありません。ですから教えるということは、自分の人生を共有したと感じる場合には素晴らしい体験になります。自分の人生を共有しなければ、人生に何の意味がありますか?

 

DC : 学生に教えていて、とても好奇心をそそられたり非常に刺激をうけたり記憶に残ったりといった事例を教えていただけますか?

MG : 60年間教えていますから70万時間になるのですが、それを分離するのは少し難しいですね。事例は挙げられません。ただ、わたしが何かをして学生たちがそれに応えてくれたという事実があるだけです。50年前に私と一緒に勉強した人たちから今も手紙が届きます。私はとても大きな満足を得ていると言わざるをえません。

 

DC : そもそも後世への遺産というものを考えたり気にしたりしますか? それとも関心はないですか?

MG : それが何であれ遺産を具体的な物にする方法がわかりません。私は人々に影響を及ぼすことをいくつかしてきました。概してマイナスの影響は与えていないと思います。

 

DC : もし100年後に誰かが今夜のことを振り返ってデザインへのあなたの貢献について話をしているとすれば、どのような貢献が望ましいですか?

MG : 心を開き続けるということ以外は思い浮かびません。

 

DC : キャリアを通してずっと変わらず心を開き続けてきたと感じていますか?

MG : ずっとではありません。晩年になってからです。

 

DC : それを悟ったある特定の時点で切り替えたのですか?

MG : どうでしょう。私を分析し過ぎですよ。

 

DC : それが仕事なもので、ミルトンさん。聴衆の皆さんの中にミルトン・グレイザー氏に質問のある方はいますか?

Q : デザイン関連でとても好きな人がいるのか興味があります。スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)についてはどうお考えですか?

DC : スティーブ・ジョブズについてどう考えているか、デザイン業界の刺激を与えてくれる象徴的人物についてどう考えているか…との質問です。

MG : スティーブ・ジョブズですか。素晴らしい偉業を達成しました。しかし彼に特に興味はありません。

 

DC : 誰に興味がありますか? 再び影響についてのこの質問は難しいでしょうが、クーパー・ユニオン大学で勉強しているときやその後のキャリアを通して、友人や同僚で誰かいますか?

MG : 私は本当に良い指導を受けました。キャリアの初期にフルブライト奨学金を得てボローニャへ行き、画家のジョルジョ・モランディ(Girogio Morandi)の元で研究しました。モランディはとても偉大な人です。簡単に言えば、教わったことというよりは彼の人となりがすばらしかった。完璧なほどにきちんとしていて献身的で、絵を描く事と週に1度の授業にしか関心がありませんでした。高潔で誠実な人物でした。彼にとって重要なことは教える事と絵を描くことで、それはすばらしいお手本でした。いまでも私のすばらしいお手本です。

 

DC : 他に質問は?

Q : あなたは生涯ニューヨークに住んでいます。あなたにとってどんな場所や建物がニューヨークを典型的に示していますか? あなたがニューヨークのことを考えるとき、どこか特定の場所がありますか?

MG : そういった地理的なことは思い描きません。結婚して以来ロウアーイーストサイドやアッパーウエストサイド、チェルシーに住みましたが、そのどれも故郷とは考えていません。どれも単なるニューヨークの中の場所です。私はニューヨークを大きくとらえているのかもしれません。それは特定の場所ではありません。すべての場所を超えたものです。

 

DC : もし誰かにニューヨークのお気に入りの場所に連れて行って欲しいと頼まれたら、観光客が多く訪れる場所から離れたちょっとした場所はありますか?

MG : はい。いくらでもあります。ただ大抵の場合アップタウンではなくダウンタウンに行きがちです。

 

Q : 持ちかけられた仕事が最終的に望んでいたような結果にならなかったクライアントはいますか?

MG : ありません。いる、いない、ということではなく、次の日になると別のことが起きるので、人生の出来事の速度をコントロールすることはできません。振り返ってみるとこの人のためにすばらしい雑誌を作ることができたかもしれない…というような考え方はしません。私は日常生活でとても幸運だと感じているので、別の選択肢の方が良かったかもしれないということは私には起こりません。

 

Q : あなたは素晴らしい人で偉大なデザイナーです。私が知りたいのは、あなたのキャリアの中でその作品を好んだデザイナーはいますか? 尊敬しているか作品が好きで影響を受けたデザイナーはいますか? 

MG : 知り合うまでポール・ランド(Paul Rand)がずっと好きでした。いや、いや、今は嫌いという意味ではありませんよ(笑)

子供のころからポール・ランドが好きでした。彼と知り合ってからはもっと好きになりましたね。ポール・ランドの鋭い感受性と才能にも敬服しています。

知り合いになったレオ・レオニ(Leo Lionni)や大勢のイタリアのデザイナーにも同じことが言えます。イタロ・ルピ(Italo Lupi)などのデザイナーもいます。個人個人のデザイナーというよりもその世代の人々全体です。私がいた当時のイタリアには、イタリア人インダストリアルデザイナーとイタリア人グラフィックデザイナーの最高の世代がいました。今でも最高の世代です。

 

DC : 失礼ながらそれを知りませんでした。イタリアで仕事をしていたことがあるのですか?

MG : フルブライト奨学金を受けていた時と、その5年後に妻と一緒にイタリアに戻って住んでいた時はイタリアのクライアントをたくさん持っていました。オリベッティ(Olivetti)やカンパリ(Campari)などです。素晴らしい時代でした。

 

DC : 米国とイタリアでは働き方に違いはありますか?

MG : まったく違います。イタリア人はまったく異なる感受性を持っていて、あらゆることが総合的です。イタリア人は区別を持っていないようなもので、支配者と召使いとの区別といったものはありません。つまり、イタリア人のために仕事をするとすれば、彼らはパートナーになるのです。少なくとも当時はそうでした。私の経験は普遍的なものではないかもしれませんが、それが私の体験から得たものです。

 

DC : イタリアで過ごした後なぜニューヨークに戻りたくなったのですか?

MG : 赤ん坊ですかね。よくわかりません。

 

Q : あなたの才能は獲得したものですか。生まれながらのものですか?

MG : 「獲得」の意味がよくわかりません。私は必死で努力しました。

中学校へ行くまではすべての時間を絵を描くこと学ぶこと絵に関する本を読むことに費やしました。私にとってアートの世界よりも重要なことは何もありませんでした。「何かを獲得する」というのが何を意味するのがわかりません。そのように必死で努力してもくだらないものしか作れないとすれば、残念ながら正常な神経系を持っていないということに…。

 

DC : 他の人よりもすぐれた生まれながらの才能を持っていると感じていますか?

MG : 「生まれながら」の意味がわかりません。誰もがある種の潜在的な才能を持っているでしょう。しかし、それが現実のものとならなければ意味がありません。おそらく私にはタップダンスの才能がありますが、それを探求したことは一度もありません。

 

Q : 子供のころ好きなことは何でしたか? レオナルド・ダ・ヴィンチは紙を持って自然の中を歩いて目に入ったものを描いたそうですが、あなたは何をするのが好きでしたか?

MG : アート以外で好きなことですか?

DC : アートに関係したことでも構いませんよ。

MG : 漫画を模写するのが大好きでした。アートについて読むのが大好きでした。アートの歴史についてとても興味を持って読んでいました。素材という意味ではそれ以上に興味を引くものはありませんでした。成長しても性的なものにさえ興味を持ちませんでした。ひとりぼっちになったとしても紙と木炭があればこの上なく幸せです。

 

DC : ご両親はクリエイティビティをお持ちでしたか? 少し違っていましたか?

MG : 両親が持っていたものをクリエイティビティとは思いません。両親はアートに興味を持たず、学ぶ機会もありませんでした。

 

DC : あなたがアートに興味があるのを見て励ましてくれましたか?

MG : 前に言ったように「あなたにはあらゆる可能性がある」と母は言いました。私が絵を描き始めるととても喜んで祝ってくれました。

 

DC : 当時デザイン、イラスト、アートの世界は今とは全然違っていました。完全には整えられていなかった道筋をあなたがつけ始めたのですか? つまりデザインの原理原則のことですが。

MG : いいえ。自分が何をしているかわかっていませんでした。世界で何がおこなわれているか知りませんでした。わかっていたのは自分のやっていることに大きな喜びを感じていたことだけです。世界で何が起こっているか? 誰が何をしているか? どんなスキルが必要か? まったく分かっていませんでした。仕事をする中で身につけました。

 

DC : クーパー・ユニオン大学で学んでいるときも世の中で起こっていることを感じられませんでしたか?

GM : クーパー・ユニオン大学で学ぶようになるまでに私はプロになろうと決心していましたし、デザイナーという仕事はどんなものかを少しわかっていました。ずいぶん昔のことです。12歳のときには絵を習うために写生教室に通っていました。モーゼズ・ソイヤー(Moses Soyer)の教室でしたが、彼は左翼アーチストのグループに属していました。ともかくそれが私が公式にアートの世界に足を踏み入れた時です。

 

DC : どうもありがとうございます、ミルトンさん。

MG : どういたしまして。

 

参照リンク : I Heart NY and Milton Glaser – Cooper Hewitt (CC BY 3.0)
当記事はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(Creative Commons license / CC license)に基づいて編集しています。

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