良い人々のために良い仕事をしよう – ロゴ&グラフィックデザイナー アーロン・ドラプリンの人生

ロゴデザイナー アーロン・ドラプリンの人生

オレゴン州ポートランドを拠点として活動するグラフィックデザイナーのアーロン・ドラプリン(Aaron Draplin)氏。特にロゴデザイナーとして有名で、TED talkやGoogleでの公演も行うアメリカの人気デザイナーの一人です。今回は、Made by Few 2015 でのアーロン氏の公演をご紹介します。

 

皆さん、こんにちは。「Made by Few」へお越しいただきありがとうございます。私は、アーロン・ジェイムズ・ドラプリン(Aaron James Draplin)です。41歳です。オレゴン州のポートランドでグラフィックデザイナーをしています。

さて、免責条項を読んでください。アメリカ中で話をしていると少しばかりややこしいことがあるので。法務担当者にサインしてください。

(一同 笑)

皆さんの中にウェブ開発者はいますか?手を高くあげてください。オーケー。ウェブ関係者が何人かいますね。その方たちは今日の話は楽しくないですよ。

※これから話す内容はコードとかそういう話にはまったく関係ありません。

(一同 笑)

 

講演の目的はデザインの誤解を解くこと

今日の目的は、誤解を解くことです。

皆さんは、デザインについて、デザインを生業とすること、デザイン界の賢者たちやそうでない人々などについて色々ご存知でしょう。でもこれから1時間くらいそれをドアの外へ置いてください。私の話を聞いてもらって、皆さんを私と同じ考え方にしたいんです。

私はここに立てるようなデザイナーではありません。私には特にこれといった箔が付いていません。ググってみてください。デザインに関して一度も何かの賞を受賞したことがありません。賞に応募したこともありません。

本も書いていません。

あ、いまのところは。完成まであともう少しです。

(一同 笑)

あと、長ズボンは滅多にはきません。今日のような重要な日でもディスカウントショップのTargetで買った短パンです。

(一同 笑)

 

どうやってここへたどり着いたか:誕生から今日の演壇まで

私はデトロイト出身です。デトロイト出身の方いらっしゃいますか。1973年にそこで生まれました。

父と母はカウンターカルチャー的で、自由な考え方と自由恋愛に関心、MC5とストゥージズに夢中でした。父は製鋼所の工員でした。4歳のとき大都市デトロイトからミシガン州の小さな町セントラルレイクへ引っ越しました。クラスメイト30人と一緒に大きくなりました。人口800人の町です。

湖や川のある美しいところです。野球をしたりして普通に育ちました。

ミシガン州の小さな町ではフェザーカットの子がたくさん育ちました。10歳くらいまではそれがクールだったんですよ。10歳になると子供達は甘いお菓子を卒業してチームを選び始めます。そしてルックスのいいヤツとそれ以外に分かれます。小さな町ではスポーツのスターでなければたいしたやつではありません。そう教え込まれます。私はBMXに夢中でした。野球にも夢中でした。スケートボードも練習していました。アートにも熱中していました。バスケットボールにも手を出しました。

(一同 笑)

 

13歳のとき、ミシガン州トラバースシティに移ります。

このころスケートボードをやり始め、スケートボード仲間と遊び始めました。パンクロックとアートに熱中し、バンドのライブに行き、自分たちでアレコレ考えるようになります。

このころ何かが変わりました。だれがベストか?1番速いか?1番カッコいいか?は重要ではなくなりました。

6人で車に乗ってスノーボードをしに行くのが重要なことでした。お互いを思いやりました。ちょっと変わった才能集団ですね。

 

高校を卒業するとすぐにコミュニティカレッジで準学士課程を受けました。

19歳になると、はるばるオレゴン州までいって仲間と西部中でスノーボードをします。私たちは皿洗いをして資金を貯めました。私はふた夏ほど揚げ物のコックもしました。

はるばる行ったのはこれをやるためにです。そしてこれが私の41年と半年の人生の中で達成した最高のことでした。それが大切であれば、そこへ行きました。19歳の自分にとって、世界はとても大きいものでした。

会場の皆さんに言いたいのは、あなたが今30歳あるいは40歳で、学校へ戻って勉強したいのなら、あるいはどこか自然の中へ行きたいのなら、絶対にそうすべきです。なぜなら41歳になるとさらに難しくなるからです。ともかく、私たちはスノーボードに熱中しました。仲間と一緒にいるのは信じられないほど素晴らしかった。

 

私はずっとアナログ人間です。鉛筆や筆で絵を描きます。

マットレスカバーのレタリング、これはややこしかった。

最初のスノーボードのグラフィックはコロラド州から来た人たちのために300ドルで描きました。94年か95年の絵です。グラフィックデザイン、アートと言ってもいいかもしれません。デザインで身を立てるということを初めて味わいました。

私の住んでいた地域では、デザインで身を立てるなんて考えがありませんでした。父と母はそういう考えの持ち主ではありませんでしたが、友人は良かれて思ってこう言ってきました。「アートでは生活できない。工具や金型の販売店やメーカーで働く方がいい」と。言いたいことはわかりますけどね。

デザインをするには、パソコンを手に入れなければなりませんでした。

そこでアンカレッジ・フェアバンクス間を結ぶ美しい景色が楽しめる観光列車に乗り、夏ごとに4回アラスカへ行くことにしました。目的は皿洗い(バイト)です。

みんな結構稼いでいましたが、そのお金で射撃やタバコやカヤックなどをやっていました。私は1年目の夏はそういったことをしませんでした。1年目の夏にざっと1万ドル貯めました。22歳としてはなかなかの金額ですよね。

とにかく楽しい夏を4回経験しました。

そうやってバイトをして、パソコンを手に入れ、ツールも揃えました。

オレゴン州のリトルベンドに戻りましたが、小さな町には序列のようなものがあることに気づきました。若造なので何の手立てもありません。先にデザインの仕事を始めた人が2人いて、彼らを追い抜くことはできませんでした。それで、ミネソタ州に戻って学校へ行くことにしました。奨学金を得て入学しました。独学だと訓練したり勉強したものが身についたかどうかはわかりません。

 

私は「ミネアポリス・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン」に入学しました。私の憧れる人物たちがそこの出身だったからです。勝ち目のない人やバンドやデザイン事務所などです。

ニューヨークかロサンゼルスへ行けとも言われましたが、私はミネアポリスでロゴデザインの仕方を学びました。

 

私のデザインの仕事について

次は私の仕事についてお話します。1998年のクールなデザインは何だったか覚えていますか?

ポストモダンのグラフィックアート、かきむしったような、ダダダとか、そういうデザインでした。ページの隅に全部集めたり、ぺったんこにしたり、そのことについて期末レポートを書いたりしました。その真っ盛りに学校に戻りましたが、私が興味を持ったのはこういうものです。

興味を持ったのは、グリッドとシンプルなタイプフェイスの効果的な使い方でした。階層、つまりヒエラルキーです。このデザインの考え方に熱中し、どれだけ実践できるかに没頭しました。また、デザインのスターになるだろうと噂されていた人たちと一緒ににいるようにしました。どういうことかって?生計を立てたかったのです。仕事にいくのが楽しみだと言ったのでレビューでからかわれました。

スクリーン印刷を学びました。溶接も学びました。自分のスタジオやアパートメントの木材からあらゆるものを作る方法を学びました。こうして学位を得て、パソコンも持っています。こういったことすべてをアメリカ西部で経験しました。

私の最初の仕事はスノーボードの雑誌でした。美しいデル・タコだか、デル・ビスタ・ラグーナだか、とにかくビューティフルな人々の国、南カリフォルニアの雑誌です。2000年のことでした。

この『Snowboarder』(スノーボーダー)誌は断れませんでした。仲間がそこで働いていましたし、雑誌には友人が載っていましたからね。大きな競合がいたので、私たちは勝ち目がないと思われていました。

私はカリフォルニアに移り、22ヶ月間、気の良い仲間たちとこの仕事をしました。予算はありませんでしたが、その後、部数はかなり増えましたね。

その後は、オレゴンに戻る機会ができたのですぐに戻りました。2002年の事です。

 

そこでデザイン事務所Cinco Design Officeに就職しました。

デザイン事務所で仕事の経験を積み、ピラミッドの上へ行きたいと思いました。仕事ができるようになり、クライアントを持ち始めました。ミーティングもします。

ポートランドのCincoという会社へ行き、腕時計ブランドNixonの仕事を受注しました。

靴ブランドGravisの仕事もしました。

オレゴンからカリフォルニアへ行かなければならないので、私はいつも飛行機の中でした。ミーティングのためのミーティングをし、メールのためのメールを書き…私は働きものでした。中西部の人間は全ての事に感謝の気持ちを持っていますからね。

 

必要とあれば遅くまで残業する事もありましたが、帰宅したらフリーランスの仕事をしていました。

徐々にフリーランスの方が収入が多くなり、2万3千ドル貯まったときに、私は事務所を飛び出す事にしたのです。

築67年の小さな家を購入し、番犬を飼い始めました。番犬ゲイリーです。

(一同 笑)

地下室を自分仕様に飾りました。2004年の事です。31歳で完全に独立しました。

 

“ドラプリン・デザイン・カンパニー(DDC)”の誕生です。独立してやっていけるか試してみようという精神で始めました。

高校、大学、大学院を出て、立派な職業についたけれども、それを好きになれないという人たちに会ったことがあります。とても馬鹿げたことです。生きてるだけでもラッキーですし、彼らのように素晴らしい人生のレールを歩んでいる人は珍しいですからね。私の人生のレールはそれに比べると少しぬかるんでいますが、成長するにつれ、少しずつ素晴らしいものに変えていく方法を人は学びます。

 

デザインの作品例

私のポートフォリオをお見せします。今見返してもそれほど変わりありません。

この11年間に何が起きたか?人に絶対無理だと言われていたことを生活のために作ってきました。それを証明する制作例です。

旅の移動中であることが多いです。この夏は本を作っています。本づくりにすべての時間を費やしました。いろいろな場所へ行く機会があると興奮します。リトルロックを訪れたことがなかったので、アールトンさんから2年前に電話をいただいたときにはノーと言えませんでした。今回電話いただいたときもノーとは言えません。あれこれやりくりしてきたので、大問題を抱えながらここでこうして皆さんの前にいるのです。

さて、この11年間がどういうものだったか。小さな家のローンをグラフィックデザインで2009年に払い終えました。5年で完済です。自慢したいわけではなくて、言いたいのは、優先順位をしっかりつければ、エンジン全開で調子よく物事が進むということです。

何もしなければ、何もわかりません。成長すれば、いくらかの現金が得られます。

ロゴの報酬がブリトーだったこともあります。本当ですよ。

 

ロゴをどうやって作るのか

とてもシンプルです。こんな感じで絵を描きます。小さな「Field Notes」(フィールドノート:ドラプリン氏が独自に開発したノート)に絵を描くんです。絵は父に教わりました。

座って考えます。これはあるディナーで料理を待つ間に描きました。5歳の時から料理を待っているときは絵を描く時間なんです。料理用マットを裏返して、座って絵を描きながら待つ。

アイデアも同じです。アイデアはパッと浮んではすぐに消えてしまいますから、これはアイデアを記録する方法でもあります。Illustratorなどのアプリよりも紙の方は気軽で良いです。私の仕事の99パーセントは紙から生まれます。こういうアナログ的な教えはウザいと思われることも知っていますけどね。

 

デザイン調整のヒント

ロゴデザイナーはいらっしゃいますか?ロゴを作る方、またはIllustratorに夢中の方、そういう方へのヒントです。

「Action Cap」というロゴを作ります。こういうイカした帽子をたくさん作っていますが。人生でサイコーのロゴを作るときはこんな感じです。

(一同 笑)

これだけたくさん作るのにはちょっと時間がかかりますね。

 

ベクターは自由だ!

ここでの教訓は、ベクターは自由だということです。

小さなものを作るときのアイデアは、先ほど手を挙げたIllustrator使いの人たちやロゴに熱中している人たちのためのファイル調整は絶対にしないということです。クライアントからフィードバックをもらうためにもファイル調整はしないでください。ファイルをきれいにして保存したりといったことをしないでください。

「Option」キーを押しながらドラッグして複製して、少し調整します。複製して調整。このアイデアで、スタートから最後までロゴの家系図のようなものができます。ひととおり作業し終わったら、いいロゴと悪いロゴをグループ分けして、バージョン2を作ります。これは私たちにできることです。このやり方を発見するまで何年もかかりました。チュートリアルや友人やプロフェッショナルの中には違う教え方をするものがいくつかありましたが、Photoshopは重いです。

ベクターの話に戻りますが、このやり方ができるという素晴らしい特権のことを忘れてしまうようです。

 

報酬ありの仕事 VS 報酬なしの仕事

2006年か2007年ごろ、ある友人が私のところへ来ました。彼はコブラ・ドッグズというホットドッグの屋台をしていました、「G.I.ジョー」のコブラのロゴが付いたケチャップやマスタードだらけの屋台です。ロゴ入りのスウェットシャツをある子供に売りました。その子供がそれをどこかへ持って行き、G.I.ジョーを作っているメーカー Hasbro(ハズブロ)の担当者が、私の友人の所へやって来てこう言いました。

「こんな事をして、困った事になりますよ!あなたを訴えて、事業を停止させます!」とかなんとか。

友人は震え上がってロゴを変えてくれる人をポートランド中探しまわったそうです。お金が関わらない仕事なので誰も引き受けてくれません。そこで私がロゴを作りました。

彼は私のところにたどり着き、ロゴを作るつもりだという私に言った彼の要望は、自分の尻尾を食べている大蛇というものでした。かなり本格的です。要望通りにロゴを作ってあげて、彼の窮地を救いました。

ここからがお話したいことです。

私たちはそれから彼の空間をグラフィックデザインで構築し始めます。私はそれまで何年も”仕事”としてデザインをしてきました。しかしお金が関わっていない場合には教訓があります。顧客担当者やメールやいろんな問題から解放されて、純粋に誰かをグラフィックデザインなど自分の技術で助けているときには、魔法が起きるんです。それを彼と一緒に見ました。私たちは彼の小さな空間を作り上げました。

彼のホットドッグ屋台は今でも続いています。2、3日前に彼と会いましたが、今ホットドッグ店はフランチャイズ展開していて、週末ごとに西部のあちらこちらに現れるそうです。

 

ナイキのエアマックスのロゴデザインをした時の事を振り返ってみましょう。ナイキはオレゴン発祥なので、オレゴン州ポートランドではナイキは全てなんです。

しかし、私はナイキのブランディングに必ずしもいつも賛成というわけではありません。企画会議に参加したことがあります。エアマックス360のロゴの仕事をしたとき、2週間ずっといろんな場所でこのロゴを目にしました。そういう使われ方をします。爆発的な露出です。ミュンヘン、ロンドンのピカデリーサーカス、ロサンゼルスでこのロゴをみました。ニューヨークではこの会場くらいの大きさのロゴをタイムズスクエアで見ました。

 

コブラ・ドッグズを自分がどう思っているか振り返ってみます。この仕事は友人のお母さんを喜ばせました。1銭にもなりませんでしたが、大切なことがあります。

友人や教会や市民グループなどの手助けが必要な人たちのために、無償の仕事をすれば何が起きるでしょうか。

私は月曜から金曜までめちゃくちゃ働いていました。日曜日まで働くこともありました。それ以外にデザインで成功する方法がないからです。しかし、月曜から金曜までの全ての時間のうち、1日半くらいは無駄だったんです。

「私のメール届いていますか?」というメールが、メールの1時間後に届くからです。この人、どんな世界で生きているのでしょうかね。ヘンですよ。

だから週の5日のうちの1日を無駄な事に使うなら、いっそ休みにしてしまおうと。私は木曜日と金曜日には仕事をしない事にしました。とにかくやめました。

代わりにCraigslist(個人売買サイト)をやっています。リソースを何も持っていない人たちのためのものです。たとえば、事業資金を借りたい人がPDFの契約書にサインする方法がわからないとしますよね。代わりに私が彼のサインをPDFに入れてあげて送り返します。これで彼の事業は先へ進めるというわけです。同時代に生きている偉大なグラフィックデザイナーの手をわずらわせたことを彼はわかっていません。

冗談ですよ(笑)

しかし、マウスをクリックするこの指は、ちょっとした手助けが欲しい人の役に立つ、パワフルで、活力を与える、素晴らしいものなんです。値段を付けたり、著作物管理のためにあるのではありません。人は窮地に陥りやすいものです。「私はこういう者なのでコレをしますがアレをしません」とう線引きはうんざりです。

 

Field Notes(フィールドノート)について

これはちょっと一方的な広告になります。「Field Notes」(フィールドノート)というものを私が作りました。欲しいノートがどこにも見つからなかったからです。まずは絶版になった全国のメモ帳を集めました。ネブラスカからオレゴン、ミズーリからミシガン、中西部、大平原地帯、ありとあらゆる場所で集めました。そして、自分のオリジナルメモ帳を作りました。2千部で2千ドルです。2005年か2006年です。それを仲間のジム・クーダル(Jim Cudal)に何冊があげるとジムは興奮し、私たちは会社を立ち上げました。

WEBサイトを開設し、ジムの知り合いだったグルーバー(Gruber)があちらこちらに拡散しました。あっという間に、6年、7年、もう9年になりますが、5年で、ミシガン州ナイルズのフレンチペーパー(French Paper Company)の製造ラインを使い尽くしてしまいました。画面の地図上に印をつけていっています。見てください。アーカンソー北西部では契約が進んでいます。そうなんです。マイクに大声で叫びます。冗談です。すみません、疲れています。利益はすべてこういう製品に還元されます。負債はまったくありません。かわいい子供達です。

Field Notesのコレクターのための風変わりなレザーポーチや木製ボックス、限定版などもたくさんあります。

すべての州の限定版があります。ワイオミング版もあります。私たちが作り出したこの小さな製品、あるいはメモ帳を発明したわけではないので、作り直したというべきでしょうか。ともかく、紙と製本針を使ったアイデアです。友人によって自分たちのために作りました。

Field Notesのおかげでたくさんのクールな人たちと一緒に仕事ができました。

でも、こういうやりとりもありました。デザインで妥協は重要ですよね。常に完璧ということはありません。費用面・クリエイティブ面・時間の面での妥協です。

ある人がこう言ったのです。

「景気が悪いので…ドラプリンさん、今回はこの価格でやってもらえませんか?」

「もちろん、もちろん」と答えました。

デザインをして納品します。クライアントは商品を作り、そこに私のグラフィックを載せます。そして報酬を受け取りました。

1ヶ月後、そのクライアントがレンジローバーの新車に乗って信号待ちしているのをポートランドで見かけました。

いろんな人に聞いてまわると、そのクライアントは景気や起業などについてデタラメばかりでっちあげていました。私をだましたのです。ほかに何人だまされたのでしょうか。でも、これは良い学びになりました。「生きているうちに何を作り出せるか」を考えるようになったからです。稼いで得たお金には違いはありません。そして、ハマーか何かを乗り回すゲス野郎にこきつかわれなくて済みます。

私の人生は今、この小さなメモ帳と一緒にますます奇妙なものになっていっています。Field Notesが爆発的に広がっているからです。ジムたちがこの奇妙なメモ帳をシカゴで作ってからです。買っていただいてありがとうございます。

ポートランドで期間限定ショップを開いたとき4時間で1,400部売れました。あっという間に売れ切れました。これがField Notesのある世界です。

 

デザイン界の無名のヒーロー

グラフィックデザインのヒーローたちのことは知っていますが、こうった無名のヒーローが大好きなんです。決して本に書かれるようなことがない人たちです。デザインはかつては商売でした。コーヒーとか気取った口ひげとか、そういうイメージになる前は。はっきり言っておきますが、私がヒゲを剃らないのは面倒だからです。ブルックリン・ベータ 0.9 みたいになろうなどというバカげたムーブメントに乗っているわけではありません。一所懸命に頑張ればヒゲがあっても仕事の実績を理解してもらえます。ヒゲを剃りたくないだけなのです。それだけです。

(一同 拍手)

使われなくなったモノの写真を何年も何年も撮り続けて、集めて、保存してきました。それらをすべてFlickrやInstagramなどの写真共有サービスでデザイナーたちと共有してきました。決してお金のためではありません。

これはある日の午後に見ていた使われなくなったモノたちで、宝物です。自分の所有物ではありませんが、すばらしい教えが手に入れられます。色・タイポグラフィ・スペース・わかりやすさ・読みやすさ。FFFFOUND!では決して目にしないモノたちです。FFFFOUND! はインスピレーションなどのためにデザイナーが皆見ているクールなサイトではありますが。

ガラクタ探しに行き、汚れにまみれていろんなものを見た後でパソコンの前に戻ると、私は感謝の気持ちを抱きます。汚れを落とし、美しいプロジェクトに向かい、旅をし、シェアし、仕事ができることをありがたく思います。

今、ロゴを縮小するのは3クリックでできます。鉛筆の先ほどの大きさしかありません。そして元の大きさまで戻すのもマウス3クリックです。

1975年は、こんな風にして確認するために3、4日かかっていたんです。撮影し、現像に送り、戻ってくるのを待っていました。膨大な種類のタイプフェイスが使えたり、ダイレクトメールをフルカラーデジタルプリントするような選択肢がない時代のものです。

当時のロゴ制作者たちは1つの色を効果的に使う方法を知っていました。70年代の美しいカリグラフィーをする女性がいますが、それもほぼ失われてしまいました。いまはチョークボードです。それも悪くないですよ。

しかし、こういった昔のものを探しまわってよく見てください。消える前に救い出してください。何かをしましょう。カメラでとてもクリアに撮影できます。

大学院を卒業した旧友が「1950年には戻りたくないし、認めたくない」と言いながら、それを私にも当てはめようとします。 友人たちは私と同じことができずにあきらました。私は人権や公正・平等を信じる家庭で育てられ、微妙な事柄と折り合いをつけてきました。私は使われなくなったモノたちを掘り出して、現代的に変えようとしています。人生とデザインをより良くしようとしています。私たちは、開発の終わったソフトウェアPagemaker(ページメーカー)や70年代の教育用玩具Speak & Spellといったものをブルドーザーで押しつぶしていっているのです。

 

宇宙的になろう

照明を消せますか?消せない?オーケー。

まさに今です。この瞬間。誰に投票しようと、どう生きようと、どう愛そうと、これを越えることはできません。

まさに今この時、私たちは地球の上に乗って漂っています。ずっと昔にいくつもの隕石がぶつかった岩。科学というのは難しいですね。私たちは無意味に壮大な宇宙の中で漂っています。これは現実です。

私の妹に赤ん坊が生まれました。生まれてわずか15分のその子を抱いたそのとき私は大泣きしました。悩みを忘れていたからです。私は、仕事や生計を立てること、借金を返すことなどを、生き続けるために悩んでいました。皆さん、ほんの少しの間でいいので、すこしだけ宇宙に意識を向けて欲しいのです。宇宙は本当に美しいものだと思うからです。夜、眠りにつく前などに。

 

DDC(アーロン・ドラプリン・カンパニー)が次にすること

DDCが次にすることはなにか?

スペースシャトルのポスターを作っています。

音楽フェス「Sasquatch! Festival」の仕事をしています。マムフォード・アンド・サンズ (Mumford & Sons)には少し興味ありました。テーム・インパラ(Tame Impala)を見たときはかなり興奮しました。アルト・ジェイ(Alt-J)はクールでした。

ポートランドで開催されたTEDxで話をする機会がありました。

最前列のナイキの重役たちに、「あなたたちは必要ない。自分の人生は自分で決める」といいました。私はその日サッカニー(Saucony)のランニングシューズを履いていました。この写真を見るたびに真ん中のボタンがなくなったら爆弾のように破裂するなぁ、と思います。

ショップ用ラグを作りました。友人のために販売店のロゴを作りました。

これはインディアナ州での芸術教育の募金を集めるためのボタンです。

友人がスキレット(鋳造フライパン)の会社を経営しているので、さまざまなタイプの裏面や側面のデザインをしました。キッチン用品のウィリアムズ・ソノマ(Williams Sonoma)に6600個納品されました。ポートランドで雇用を生み出している新しい会社です。

父が亡くなったので腕に父の顔のタトゥーを入れてもらいました。横になってタトゥーを入れてもらっているところです。誰もがアーティストです。タトゥーアーティストにちょっかいを出してはいけません。ちょっとしたケンカになって、追加料金を払うハメになりました。腕に自分の父親を彫ってもらおうとしているのですから、それを理解すべきです。まぁ、いいですけど。ジム・ドラプリンは永遠に私の腕にいます。父がいなくなってさびしいです。

スキーリゾートのロゴです。

シアトルのSub Pop Recordsのロゴです。

アドビ社(Adobe)のために書きました。来週火曜日にクリエイティブ・カンファレンスAdobe Maxへ行って歌って踊ります。

The Sunのロゴです。大きくなってもいいでしょう。

Targetのために仕事をする機会を得ました。アスペン市(Aspen)かどこか山に関することです。出張旅行中で行けませんでした。

1年ほど前Vansのドキュメンタリーに出演する機会がありました。どなたか見られましたか。本当にクールでした。見ていただきありがとうございます。私の作品666点をずらりと並べて撮影しました。

ディスカウントストアTargetにとって初めてのLGBTAカードを作る機会がありました。まだサイトに上げられているかわかりません。もう手に入らないかもしれません。私がこれを作ったのは、状況は常に変わっていて、歴史のどちら側につきたいかによりますが、私は平等や人権、女性の権利といった進歩的なことについていく傾向があるからです。確かに、ややこしいです。このカードは、叔父のテリーとジョン、そして彼らが持っていたダイアナ・ロスのすばらしいレコードコレクションに捧げられています。では次へ行きましょう。

ビール会社のものです。

バンドOld 97’sのレコードです。レット・ミラー(Rhett Miller)がリードシンガーですが、春に彼のソロアルバムもやりました。

コナー・オバースト(Connor Oberst)のアルバムです。

制作した全てロゴを載せたポスターを作りました。

他には…。ペンシルベニア州ランカスター市に行くことがあり、小さなポスターを作りました。ダッチ地区のヘックスデザインです。汗をかいてます。プレッツェルなどもあります。

1年前にトランプカードを作りました。広げたところです。絵札も小さな部分もすべて作りました。テンプレートが送られてきましたが私は興奮して自分で作り上げました。

ボン・イヴェール(Bon Iver)が好きな方はいますか?彼らが主宰したこの夏の音楽フェスのロゴを作りました。

また、バックステージパスやウェブのバナーなどあらゆるものも手がけました。どなたか行きましたか?ありがとう。私の妹のお気に入りで、彼女のお腹の中にいたオリバーはボン・イヴェールを聴いていました。だから彼は今でもボン・イヴェールの歌を全部知っています。驚きます。

「Thick Line Series」(幅広ラインシリーズ)という新しいポスターです。シンプルな色とシンプルな価格で、すべての複雑な人々のためのシリーズポスターです。

期間限定ショップを去年開きました。見事です。11月に50日間ポートランドで催しました。世界最大のField Notesウォールです。

少し奇妙な小さなロゴはポートランドかどこかの「Perfect Valley」と言います。

『PRINT』誌のロゴです。

雑誌の表紙に載りました。雑誌を廃刊にする方法入門編です。実は売れました。どっちがイカれてますか?

Lynda.comにアップされている動画は見ましたか?とても興奮しました。1ヶ月前にダブリンへいったときに空港で母と子が私の方へ来て、その10歳くらいの子が「ドラプリンさんですか」と訊いてきました。「やあ。そうだよ、カール君」とかなんとか言いながら私たちは友達になりました。彼はその動画を見たのです。10歳か11歳ですよ。Field Notesやバッグに入っていたあれこれをあげて、「ありがとう、会えてよかったよ」と言いました。きっと彼は学校でわたしにもらったものを友達に見せるでしょう。すばらしいことです。

私にはトレーナーがいます。このすばらしい男はモンテル(Montel)に似ています。彼が昼休みに懸垂を50回やっている写真を送ってきました。私はそこへ行きましたが、お楽しみは終わっていました。短パンやソックスなどのぬけがらがあるだけでした。でも、私は血液を循環させることにしています。

この夏オーストラリアに行きました。三晩話をしました。すばらしい体験でした。

どなたかマーク・マロン氏の放送を聴いていますか?結構です。夏にこのポスターを作りました。1DPIで、この写真はマーク・マロン氏が彼のポッドキャストのためのインタビューしているところようですね。公開予定は10月と聞きました。この取材を受けたのは7月12日でした。それ以来シンバッド氏(Sinbad)や他のいろいろなディレクター連中にたたかれています。でもいよいよです。楽しんでいただけるといいのですが。とてもビクビクしています。なぜマロン氏が私のところへやってきてインタビューしたのか今だにわかりません。私は話のネタはいくつか持っていますが、あの気難しいコメディアンのマロン氏ですよ。オバマ大統領へのインタビューというすごい仕事をしています。私へのインタビューはその10日後でした。私が「なぜこちらへ来られたのですか」と聞くと「では、その理由を一緒に解明しましょう」と言われました。公開されたら聴いてみてください。

 

懸命にデザインしよう!

さて皆さん。懸命に働いて、人生を愛し、デザインを愛し、ウェブのコーディングを愛し、クリエイティブやマーケティング、アカウントマネジメントに携わる人々を愛してください。私たちは幸運なことに生きています。幸運にも今日ここにいます。この数日間はとても楽しく過ごせました。私の話を聴いていただきありがとうございます。

 

イエスと言おう

イエスと言うほうがノーというより少しはましかもしれません。

思うにデザイナーやクリエイティブはノーというのが上手です。しかしイエスという方が仕事を早く終わらせられます。これは連れ合いが教えてくれました。

クライアントが訳のわからないことを言い出すと私たちはすぐにノーと言いがちです。でも誰が報酬を出しているのかを忘れないでください。クライアントです。それが嫌なら自分で商売を始めましょう。ありうる話です。できます。

しかし、仕事を請け負っているのであれば、そのことは忘れてください。

クライアントがつまらないものを作りたいのであれば、そうしましょう。あなたのポートフォリオを作っているのではありません。彼らの仕事であり、彼らの生計のためにするのです。ですから仕事をするときは次のことを基準としてください。クライアントはそれが好きだ。クライアントはそう信じている。そうすれば「右へ行け。左へ行け。ピンクにしろ。ああしろ、こうしろ」といったメールは送られてきません。

 

良い人々のために良い仕事をしよう

良い人々のために良い仕事をする。これは真理です。友人と一緒に信じている人々のために生きてきたと誇りを持って言えます。
TwitterやInstagramをやっていますが、猫やコーヒーやスポーツのスコアなどはありません。約束します。そういったものはありません。

ご静聴ありがとうございました。

 

参照リンク : Aaron Draplin – Made by Few 2015 – Few (CC BY-SA 3.0)
当記事はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(Creative Commons license / CC license)に基づいて編集しています。

共感いただけましたら、いいね!シェアいただけますと幸いです。

ASOBO DESIGN™ とは

ASOBO DESIGN ロゴ

ASOBO DESIGN (アソボデザイン)へようこそ!デザインの制作に関わることは何でもご相談ください。

チラシ・ポスター・パンフレットや、名刺・ショップカード・DMなどの各種印刷物、看板・ロゴマーク・パッケージデザインまで幅広いグラフィック・広告デザインに対応いたします。デザイン制作だけでなく、印刷から納品まで一貫して対応(※)しており、展示会・キャンペーン・販促宣伝活動等に貢献致します。※一部媒体を除きます

デザインの見積もり・制作依頼

SSL カード決済対応 銀行振り込みの他、各種クレジットカードでのお支払いにも対応しています。

ピックアップNEWS

実用的な折チラシデザイン
書籍「実用的!折りチラシデザイン」に作成したチラシが掲載されました。

チラシデザインが書籍に掲載されました
書籍「タイトルまわりのデザイン表現」にチラシデザインが掲載されました。

チラシデザイン集に掲載されました
書籍「実用的なチラシデザイン」にデザインが掲載されました。

雑誌掲載事例
デザイン総合情報誌「MdN」にWEBサイトが掲載されました。

メディア掲載事例について
インディーズCDの制作ガイドに、デザイナーとしてのインタビュー記事が掲載されました。

インターナショナルファッション誌 "En Vie Fashion Magazine" 内にデザインが掲載されました。

Adobe MAX Japan にて制作デザインが展示されました。

NEWS&PRESS情報一覧


事業概要

ご利用規約

ASOBO DESIGN™ではチラシやポスターのデザイン制作をはじめとした、様々なデザインサービスを行っています。