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Clarence P. Hornung_デザイナーアーカイブ

クラレンス・P・ホーナング(Clarence P. Hornung)- イラスト・図案・紋章で時代を記録したデザイナー

Clarence P. Hornung_デザイナーアーカイブ

ロゴマークやデザインパターン、ピクトグラムなどのアイデアが必要なときに、ロゴ集を参考にしたりデザイン年鑑をめくってみたりすることはよくあると思います。

米国人デザイナー、クラレンス・P・ホーナング(Clarence P. Hornung)は自身も数多くのロゴを制作し、広告、書籍、パッケージ、タイプフェイスのデザインをしましたが、19世紀末から20世紀中頃までの商標(トレードマーク)やデザインパターン、木口木版(こぐちもくはん)のイラストなどを含む約30点の本を出版。その後のデザインのために貴重な資料を数多く残しました。

対象は米国のみならず、欧州、アジアを含み、日本の家紋や染型(そめがた)などの図案集も出版しています。ホーナングの画期的な資料集は米国中で参考にされた時代もありました。ホーナングの影響力は東西冷戦時代に生まれた核シェルターのシンボルマークにも表れています。

 

ホーナングの作品集『Trade-Marks』

デザインを見る (via Pinterest)

「ロゴ」(logo)という言葉が使われるようになる前の1930年に出版されたクラレンス・P・ホーナングの最初の書籍『Trade-Marks Designed By Clarence P. Hornung』(トレードマーク)は、彼が制作したロゴ53点が収録された作品集です。

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表紙にホーナングの作品のひとつが金箔押しされたこの書籍は750部印刷され、600部が販売されました。1ページに1作品が掲載され、各ページは罫線の代わりにデボス加工(空押し)が施されるというとても豪華なものです。『Trade-Marks』には様々な印刷会社の商標や「colophon」(コロフォン)と呼ばれる出版社マークなどが掲載されています。

 

核シェルターシンボルのヒントとなったハンドブック

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1932年にホーナングは2作めの著作『Handbook of Design and Devices』(デザインと図案のハンドブック)を出版しました。

核シェルターのシンボルマークの元by Wikipedia

1836点の基本的な図形を分類してまとめた図案集です。印刷、出版、デザイン関連の分野で参考資料として広く使われ、1946年には第2版が刊行されました。そこに掲載されている「図349」は核シェルターのシンボルマークの元となったと言われています。

第2次世界大戦が集結したののつかの間、米国を中心とする西側自由主義国家とソ連を中心とする東側社会主義国家との対立が強まりました。実際の戦闘はおこなわれないものの、両陣営は核開発を競い激しいにらみ合いが続きました。そのため「冷たい戦争」「東西冷戦」と呼ばれました。もし核攻撃があった場合に放射能性降下物(死の灰)から身を守るための核シェルターというものがあります。

核シェルターのシンボルマーク

米国では1950年代から60年代にかけて、個人がDIYで核シェルターを作るブームが起きました。1961年には米政府が核シェルターと使える建造物など把握する方針を打ち出し、1962年にはシェルターの場所を示すためのサインが作られました。

 

書体の作成からプロダクトデザインまで

クラレンス・P・ホーナングはアメリカ活字鋳造会社(American Type Founders = ATF)のために「Vogue Initials」(1923年)、「Georgian Initials」(1924年)、「Lexington」(1926年)といった書体も作りました。書体の資料はこちら

ATFはセリフ書体「Century」(センチュリー)ファミリーを生み出した会社です。

1937年にホーナングは『PM Magazine』誌の特集デザイナーとして全ページのデザインを担当します。印刷工程や活字など印刷業界や関係者向けに1934年から1942年まで刊行された『PM Magazine』誌は米国生まれの若い才能や欧州からの移民のアーティストのショーケースとなっていました。

そのころまでにホーナングが作成したシンボルマークは300点を超えるといいます。彼はほかにもカタログからオフィスのインテリアまでデザインしました。1934年にはプラスチック製の35mmカメラをデザインし特許もとっています。さまざまカテゴリーの製品のパッケージデザインも手がけました。

 

日本の家紋や染型の図案集も出版

1985年には『Traditional Japanese Stencil Designs』(日本の伝統的染型のデザイン)を出版しました。こちらは『日本の染型』という書名で日本の出版社から文庫本も発売されています。また、1987年には『Traditional Japanese Crest Designs』(日本の伝統的家紋のデザイン)を出版しています。

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いずれもサンプルを多数集めた図案集のようなものです。ホーナングがイラスト集、図案集として残した分野は多岐に渡ります。クラシックカー、書体、飾り罫や背景パターン、植民地時代の広告、宝飾や食器、ホーナングの好きな鳥であるワシなど。20世紀初頭まで書籍の挿絵として使われていた木口木版(こぐちもくはん)で美しく描かれた19世紀の米国の事物や風景をいまでも見ることができます。

 

コレクターズアイテムとなっている自動車のリトグラフ

米国製自動車の歴史を図版で示すものが存在していないことを知ったホーナングは、1949年から自動車のイラストを描き始めました。

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リトグラフ(lithograph)で印刷された精緻で美しいクラシックカーのイラストはコレクターの垂涎の的となっています。特に1853年から1915年までの自動車のイラスト100点をまとめたボックスセットは高値で取り引きされているようです。

米国にはジョン・ジェームズ・オーデュボン(John James Audubon)という鳥類研究者で画家がいます。オーデュポンは、極めて写実的に鳥を描いた画集『アメリカの鳥類』(Birds of America)を1838年に出版したことで有名なのですが、ホーナングは彼に因んで「自動車のオーデュボン」と呼ばれています。

 

広告デザインと書籍の出版

1899年にニューヨークで生まれました。ニューヨーク市立大学シティカレッジ (City College of New York)を1920年に卒業後2年間兵役につきます。その後クーパーユニオン大学(Cooper Union Art School)大学で美術、ニューヨーク大学(New York University)で広告デザインを学びました。いくつかの広告スタジオでデザインやレタリングの見習い期間を経て、フリーランサーとしてのキャリアを始めます。

ロールス・ロイスやATFを含むトップ企業の広告デザインを提供しました。1930年代にはトレードマークを積極的に制作します。またこの頃からインダストリアルデザインも手がけるようになります。1930年の『Trade-Marks by Clarence P. Hornung』を皮切りに書籍の出版も続けました。広告デザインやロゴから、自動車やワシ、民芸品などテーマは多岐にわたります。

 

クラレンス・P・ホーナング(Clarence P. Hornung)
1899年~1997年
米国
グラフィックデザイナー、イラストレーター


【参考資料】
Clarence P. Hornung、Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Clarence_P._Hornung)

CONELRAD Adjacent: AN INDELIBLE COLD WAR SYMBOL: THE COMPLETE HISTORY OF THE FALLOUT SHELTER SIGN(http://conelrad.blogspot.com/2011/06/indelible-cold-war-symbol-complete.html)
Dr. Leslie Project: PM & AD Magazines (http://www.drleslie.com/PMADMagazines/Magazines.shtml)
・Guide to the Clarence Pearson Hornung Papers(Arts Library, Yale University Library, 2006)
木口木版 – こぐちもくはん | 武蔵野美術大学 造形ファイル(http://zokeifile.musabi.ac.jp/木口木版/)

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